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心の中のトラウマ - 覚え書き [心呼吸(かおちょ♪の心)]

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2009年04月16日

さようなら.jpg

幼い頃、私はよく母親に怒られた。理由も分からず怒られた。

カウンセラーに「お母さんはどんな人だった?」って聞かれてそういう事しか出てこなかった。

叱られてたんじゃなく母親のヒステリーで怒られてた。

子供の頃はそんな事分からなくて、何もしてなくても自分が悪いことしたんだと思い、

「ごめんなさい、ごめんなさい」って謝ってた。

それでも母親は私の太股が赤く腫れ上がるまで叩いて、泣き叫んでも止めてもらえなかった記憶がある。

母親に怒られたり叩かれたりするのが怖くて良い子で居る事が当たり前だった。

カウンセラー曰く、私は家に居ても親の顔色伺っていつも無意識に緊張状態が続いていたんだって。

母親は仕事をしていた、親戚が経営していた中華料理店の接客業をしていた。

母親は優等生タイプでいい人で明るい人と周りからは見られていた。

そんな自分をしんどく思ってたんじゃないか、母親もキツかったんじゃないかと最近思うようになった。

私は母方のおばあちゃんと一緒に住んでたから、おばあちゃんに救われてたんだと思う。

2人のおじいちゃん、おばあちゃんが私を助けてくれてたんだと思う

高校に入って少しだけやんちゃな子達と付き合って夜遊びしたり

タバコを覚えたり、停学になった事も実はある;;;

もちろん、母親だけの問題じゃなく父親も関わって来るんだけど父親の事は後日・・・

でも、家出したり完全に非行に走れなかった

矛盾した怒られ方をしてどんなに悔しい思いをしてきたか・・・

それでも悪くなる勇気が私には無かった。

母親は私が高校生の頃から、自力で歩けなくなっていった。

当時は脊椎性筋萎縮症と診断された。

今はもっと違う名前で病名が付けられたのかもしれないけど、難病だった。

トイレの世話も父親、妹と家族でしてた。

家事もするのが当たり前だった。実は嫌々してた。

その時の思い出が今、家事という物を拒否するきっかけになってるとカウンセラーに言われた。

そう、私と妹は怒られた記憶があっても褒められたり、ありがとうって言葉をかけられた記憶がない。

自分が楽しくて何かをしようではなく、怒られたくないから“しよう”になってたんだって事に気づかされた。

母親の本当の気持ちを知る事もなく母親は13年前、雲の上へと旅立った。

その後3年連続で父方のおじいちゃん、

私を大きくしてくれた母方のおばあちゃんが旅立った。

それ以降私は“死ぬという事”の恐怖心も出はじめた。

そしたら何をするにも恐怖心が付きまとうようになった。

子供の頃、少しでも自分の意思表示をもっと子供の頃に親に上手く出せる子になっていれば

周りの目を気にして人にばっかり神経使って、すり切れる事無かったかもしれないって思う。

非行に走ってめちゃめちゃになってたら、親は気づいてくれたかもしれない。

もっと親に迷惑かけても良かったのかな・・・

いまさら言っても仕方ないけど・・・これから自分取り戻そうとしてるんだけどね


でゎでゎ゚。*★(*´-з)☆See U☆(ε-`*)★*。゚

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